自分のなかにある一貫したもの




ここまで詩を書いてきて、気づいたことを書いてみようと思います。


そもそも普段、詩を書くということはありませんでした。ブログを始める際も、エッセイのようなものを書くつもりでした。

しかし、いざ書き始めると、ふと、高校時代に書いた詩を思い出しました。京都を訪れた際の詩です。

それは学校で出された課題でした。
課題自体は詩でなくてもよかったのですが、元々文章力がないので結果として詩になりました。

そしてそれは、今も同じです。



ハガキの上半分は色鉛筆で画を描き、下半分に詩を記しました。

『雨の音
 土の匂い
 深緑の中に茶色い何かが姿を現した
 そこは静閑
 そこは銀閣寺』


「静閑」という言葉も知らなくて、何か適当な言葉がないかと辞書をパラパラめくりながら辿り着いた単語でした。

初めて出会った言葉でしたが、音も意味もぴったり当てはまった気がして、我ながらよく書けたなと嬉しくなりました。


学内でしたが表彰もされて、誇らしかったのを覚えています。


いざ、この歳になって書き出してみると、いろんな装飾がついてしまい、最初はダラダラとしたよくわからないものになりました。

それから削ったり、追加したりしながら、ここまで書き溜めてきました。


それでも不思議なもので、わたしにはどの詩にも、高校時代の詩の片鱗が感じられるのです。

何か、自分のなかに一貫したものがあるような、そんな気持ちにもなり、また、高校時代の自分と向き合っているような、不思議な気持ちにもなります。


まだまだ拙い詩ですが、高校生のわたしも一緒に、少しずつ、いいものが書けるようになれたらいい。

そう思っています。

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